象を撃つ(Shooting an Elephant, 1936)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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ビルマ南部のモーラミャインでは私は大勢の人々に憎まれていた……そんなことが起きるほどたいそうな地位にいたのは私の人生でもその時だけだ。私はその町の警察分署の副署長で、そこには漠然とした反ヨーロッパ感情とでも言うべきものが非常に強く存在していた。暴動を起こすほどの気概がある者は……続きを読む

ShootingAnElephant

ジョージ・オーウェルの「Shooting an Elephant」の日本語訳。

オーウェルは19歳から5年間、当時イギリスの支配下にあったビルマ(現在のミャンマー)で警官として過ごした。この「象を撃つ」はビルマ時代を描いた作品の中でも代表的なもののひとつに数えられている。

当時、警官だったオーウェルは脱走して暴れた象を追い、最終的に「意に反して」その象を撃ち殺すことになる。

私はその象を撃ちたくなかった。草の束を膝に叩きつける象を私は見つめた。象は何かに没頭している老婦人を思わせる雰囲気を持っていた。象を撃つことは謀殺のように思われた。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"

なぜ象を撃つことになったのか。支配-被支配の関係は時に反転し、支配者自身が「支配される」のだというのがオーウェルの考えだ。

物語の主役は一見したところ私だ。しかし実際のところ、私は背後に立つこの黄色い顔々の意思に背中を押されて惑う、とるにたらない人形に過ぎなかった。白人が暴君へと変わる時、破壊しているのは自らの自由なのだということをこの瞬間に私は理解した。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"
岐路に立たされれば決まって「先住民」の期待することをおこなうのだ。仮面をつければその顔は仮面に合うように変わっていく。私は象を撃たなければならなかった。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"

権力を振るう人間は同時ににその権力に縛られている。

実はこの作品が実話なのかどうかには議論がある。当時の同僚の証言(「象を撃った処分としてオーウェルはミャンマー北西部のカタへ転属された」)がある一方、1926年に起きた類似の事件を題材にしたフィクションではないかという主張もある。

そういう意味では自分が嫌う植民地政府の警官だったオーウェルが自身の道義心を「撃ち殺される象」という形で描写したのだという読み方もできるかもしれない。