歓楽の地(Pleasure Spots, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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数か月前に私は派手派手しいある雑誌の記事を切り抜いた。ある女性ジャーナリストによって書かれた未来のリゾートについての記事だ。彼女は最近、ホノルルで時を過ごしたらしい……続きを読む
ジョージ・オーウェルの「Pleasure Spots」の日本語訳。
このエッセーでオーウェルは現代的なレジャー施設を詩人コールリッジの詩「フビライ・ハーン」と対比させて批判的に分析している。オーウェルがここで対象としているのは屋内プールや飲食街、映画館を内部にもち、絶えず音楽が流れ続けるような人工的に作られた大規模レジャー施設だ。
オーウェルはその特徴を次のように分析している。
- 決して一人になることがない
- 自分自身で何かをする必要がない
- 野生の草木や自然物が視界に入ることがない
- 照明と温度が常に人為的に調整されている
- 常に音楽が流れ続ける
これらの特徴から連想させられるものは「子宮への回帰願望」だとオーウェルは書く。
現代のリゾート地が無意識に目指しているのは子宮への回帰なのではないかと感じずにはいられない。そこでは人は決して一人になることがなく、日光を浴びることもなく、温度は常に調整されている。仕事や食べ物の心配をする必要はなく、もし存在するとしたらだが思考はリズミカルな拍動に飲み込まれてしまう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地")
オーウェルは鳥や野兎をはじめとした野生動物、木々や草花、季節の移り変わりを好む、ダンスホールや映画館ではなく郊外でのトレッキングを好むような人物だった。そうしたせいもあってか人工的に閉じられた歓楽施設というアイデアをかなり辛辣に批判している。
歓楽の名でおこなわれることの大半は思考を破壊しようという試みに過ぎない。まず最初に問いかけてみよう。人間とは何か? 何を必要としているのか? どうすれば自身を最良の形で表現できるのか?……(中略)……安っぽい音楽の調べはその助けにならないことに気が付くだろう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地")
第2時大戦が終わり、工業生産力にも余裕ができてきた当時はこうした完全人工型のリゾートが多く企画され、それがオーウェルには軽薄で現実逃避的なものに見えたのだろう。
最初のディズニーランドがアメリカのカリフォルニア州に作られたのはこのエッセーが書かれた9年後、1955年のことだった。