炭鉱の奥深く(Down the Mine, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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チェスタートンには申し訳ないが、私たちの文明は石炭の上に築かれている。あまりに当たり前すぎてよく考えないとそれに気がつけないほどだ。私たちの生存を確かにする機械、機械を作りだす機械、それらはすべて直接的、間接的に石炭に依存している……続きを読む

DownTheMine

ジョージ・オーウェルの「Down the Mine」の日本語訳。

オーウェルの初期の作品のひとつがイギリス北部の炭鉱街を取材したルポルタージュ「The Road to Wigan Pier」だ。「ウィガン波止場への道」として邦訳されている(絶版になっていたが昨年、電子書籍として復刊された)。

この「炭鉱の奥深く」はその中の1章で、炭鉱夫たちの仕事の様子を取材したものになっている。中東やアフリカでの大油田の発見による石油エネルギーへの転換は1950年代のことで、オーウェルがこのエッセーを書いた当時はまだ石炭こそが産業を支えるエネルギーの中心だった。

アイスクリームを食べることから大西洋を渡ることまで、またパンを焼くことから小説を書くことまで、私たちがおこなうことはほとんどすべて直接的、間接的に石炭を使用している……(中略)……ヒトラーが膝を伸ばして行進するためにも、ローマ法王がボルシェビズムを非難するためにも、クリケットの観衆がローズ競技場に集まるためにも、詩人同士が内輪褒めするためにも、石炭が用意されなければならない。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

その石炭を掘り出す炭鉱夫は小柄だが、筋骨たくましく、オーウェルはその姿に嫉妬さえ覚えると書いている。

一方で労働は過酷だった。とりわけオーウェルの注意を引いたのは地下に降りた後で採掘地まで数マイルを這うようにして進まなければならないということで、これがどれほど大変なことかをオーウェルは自身の体験を交えてくり返し強調している。

炭坑に潜る前、私が漠然と想像していたのはケージを降りて数ヤードほど先の石炭鉱脈で働く炭坑夫だった。働く前には通路を這い進まなければならないこと、その通路がロンドン・ブリッジからオックスフォード・サーカスに至るほどの長さもあるとは考えもしなかった。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

「動物農場」、「一九八四年」で広く知られるジョージ・オーウェルだが、「動物農場」の出版まではむしろルポルタージュ作家(そして書評家)としての仕事が多い。前世紀よりは改善されてきているものの、依然として過酷だった労働者階級の生活の様子を直に取材したことが与えた影響は、後の小説の作風からもうかがうことができるように思う。