アーサー・ケストラー(Arthur Koestler, 1945)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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今世紀における英文学で目を引くひとつの事実は、それがどれほど外国人……例えばコンラッド、ヘンリー・ジェイムズ、ショー、ジョイス、イェイツ、パウンド、そしてエリオットといった人々……によって占められているかということだ……続きを読む
まぎらわしいがジョージ・オーウェルによって書かれた「アーサー・ケストラー」というタイトルの評論。アーサー・ケストラーは1905年生まれの小説家、哲学者。オーウェルは1903年生まれなので二人はほぼ同世代だと言っていいだろう。
この評論では当時ケストラーが発表していた「スペインの遺書」、「剣闘士たち」、「真昼の暗黒」、「地上の屑」、「到着と出発」の5作品を取り上げて、ケストラーがいかにして社会主義革命に幻滅し、決別したかを分析している。
革命は常に堕落する……これこそが主題なのだ。なぜ革命は堕落するのかという疑問について彼は口ごもる。(ジョージ・オーウェル, "アーサー・ケストラー")
中でも特に「真昼の暗黒」はオーウェルに大きな影響を与えたようで、オーウェルの「一九八四年」の第3部での尋問場面は明らかに「真昼の暗黒」を踏まえたものになっている。
さらにこの評論では「大衆への教育なしには社会の進歩はない。社会の進歩なしには大衆への教育はない」というケストラーの言葉が引かれているが、後にオーウェルが書いた「一九八四年」では次のような言葉が主人公によって語られた。
彼らが反抗するにはまず目覚めなければならない。そして目覚めるためにはまず反抗しなければならないのだ。(ジョージ・オーウェル, "一九八四年")
ほぼ同世代であり自分と同じようにスペイン内戦を経験し全体主義への懸念を持っていたケストラーへの親近感のようなものが評論からは感じられる。
ケストラーと言えば共産主義と決別して以降にも「機械の中の幽霊」や「第十三支族」といった著名な作品がある。オーウェルの死後に発表されたこれらを読んだらオーウェルはどのような反応を示しただろうかと想像させられた。