公園の自由 (Freedom Of the Park, 1945)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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数週間前、ハイド・パークの外で新聞を売っていた五人の人々が通行妨害を理由に警察に逮捕された。裁判官の前に引き出された彼らは...続きを読む

FreedomOfThePark

1945年に書かれたジョージ・オーウェルの「Freedom Of the Park」の日本語訳。

この年はもちろん第二次世界大戦終戦の年であるが同時にイギリス総選挙で労働党が戦中与党だった保守党に大勝して初めて単独政権を取った年でもある。

これを読むと左派と警察の関係が70年近く前からたいして変わってないことがわかる。立川反戦ビラ配布事件とか大阪で阪南大学の准教授が逮捕された件とか。ここでオーウェルが問題にしている「法律を厳しくしておいて運用を恣意的におこなう」ということも普通におこわれている。

この文章はジョージ・オーウェルの代表作である「一九八四年」を読む上でも参考になることを説明しておいた方がいいだろう。「一九八四年」の第1部8章に主人公(ウィンストン)が老人にビッグ・ブラザー以前の世界の様子を尋ねる場面がある。

……私ぐらいの歳の人間は当時のことを何も知らないのです。本で読むしかないのですが、そこに書かれていることはおそらくは真実ではないと思うのです。あなたの意見をお聞かせ願いたい。

それに対して老人はこう答える。

……昔は演説してるやつの話を聴きに日曜日の午後にハイド・パークに行ったものだがね。救世軍に、カトリック信者に、ユダヤ人に、インド人・・あらゆる種類のやつがいた。そこに一人、・・ええっと、名前は思いだせんが本当に演説の巧いやつがいた。そいつは容赦なかった!『おべっか使いども!』そいつは言った。『ブルジョアジーのおべっか使いども!支配階級の下僕ども!』寄生虫・・そうも言っていた。それからハイエナ・・確かハイエナとも呼んでいたな。

しかしウィンストンは老人の答えに失望してしまうのだ。

……無力感がウィンストンを襲った。この老人の記憶には些細なことのごみの山しかつまっていないのだ。彼に丸一日質問を続けてもまともな情報は何も得られないだろう。

「公園の自由」というこの文章を読めばオーウェルが公園で自由に行われる演説(いわゆるスピーカーズ・コーナー)の役割を高く評価していたことがわかる。

つまり「一九八四年」の主人公と老人の対話は言論の自由について当時の様子を語る老人とそれについて強く知りたいと思っているにもかかわらずビッグ・ブラザー後の世界で育ったために目の前で語られる話の重要性に気がつけない主人公という場面なのだ。

もちろん「一九八四年」だけでもそれを読み取ることはできるのだけれどこの「公園の自由」という文章によってそれがより明確になるのではないだろうか。

翻訳の元となった原文は過去にProject Gutenberg Australia から入手したものを使用している。