屍者の帝国
文庫になるまで待とうと思っていたのに思わず買ってしまった...。
2009年に亡くなった伊藤計劃の未完作を彼の友人である小説家、円城塔が書き上げた作品。
作品の舞台となる世界ではフランケンシュタイン博士によって死者の復活技術が実現し、蘇った死者(屍者)を労働力とした経済が築き上げられている。そんな世界設定の19世紀ロンドンで主人公である医学生のジョン・ワトソンがイギリス諜報機関にスカウトされ、アフガニスタンへ旅立つところから物語は始まる。
テーマは「意思」だ。人間には意思があるが屍者には意思はない。意思ある屍者を作り出すことはできるのか。意思とは何か。円城は書く。
わたしたちは個別に物語を保持し、自分の意思と信じるものに従って行動している。意思を信じるとさえ感じる必要がないほどに。...(略)...私たちは物理的な現象だが、同時に意味を上書きしながら生きている。ほんの二十一グラムほどの魂が、そんな上書き機能を担う。物語による意味づけを拒絶したなら、私たちは屍者と変わるところがなくなるだろう。
物語の道具立てに目を移すと円城は伊藤がこれまでの作品で扱ったテーマを積極的に取り込んでいる。PMCや戦闘、言語による意思の感染というアイデアは「虐殺器官」、意識の進化論的意味というテーマは「ハーモニー」でそれぞれ取りあげられていたものだ。また本作は伊藤の過去の作品と同様、大量のサンプリングとコラージュによって成り立っている。
元ネタの一部ををあげればシャーロック・ホームズの冒険、007、カラマーゾフの兄弟、フランケンシュタイン、ドラキュラ、未来のイヴ、風と共に去りぬ、海底二万マイル、闇の奥(というより地獄の黙示録?)。実在の人物ではロバート・ブルワー・リットン、ユリシーズ・グラント、フレデリック・ギュスターヴ・バーナビー、山澤静吾、大村益次郎といった人々が登場している。
円城の文体は散文詩的で伊藤の文体とははっきりと異なり好き嫌いの別れる部分ではあると思うのだが、書かれなかった伊藤の「屍者の帝国」を思いつつ、円城から伊藤への追悼文として読むといいのではないだろうか。
エピローグで物語が語り手を失い記述者だけが取り残される様子はちょうど伊藤を失って取り残された円城を連想させた。