実験記録 No.02

大阪市在住プログラマー。 翻訳とか、物理シミュレーションとかやってます。

【日本語訳】イギリス料理を弁護する(In Defence of English Cooking)

イギリス料理を弁護する(In Defence of English Cooking, 1945)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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外国の観光客をこの国に呼び込むことの重要性については近年、多くの議論がなされている。外国からの来訪者から見たイングランドの二つの最悪の欠点は有名だ。すなわち日曜日の陰鬱さと酒を買いづらいことである……続きを読む

InDefenceOfEnglishCooking

ジョージ・オーウェルの「In Defence of English Cooking」の日本語訳。

イギリスの料理と言えば悪名高く、日本語版Wikipediaのイギリス料理の項目には『「不味い」というイメージ』という節が設けられるほどだ。一説によると世界で初めて産業革命(とそれによる劣悪な工場労働)が起きたことが原因だという研究もあるらしくなかなか面白い。

このエッセーに話を戻すと、第2次大戦が終わったこの時期にイギリスでは国外の旅行客を呼び込むことの重要性が議論されていたらしい。当然、イギリス料理も問題とされたのだろう。

そこでオーウェルは「イギリス料理が不味いというのは誤解だ」としてキッパー(燻製ニシン)、ハギス(羊の内臓料理)、スティルトン(ブルーチーズの一種)などイギリス特有のおいしい料理を列挙し、イギリス料理の擁護弁論を行っている。

ではなぜイギリス料理が不味いと言われるのかというと、まともな料理は家庭でしか作られず、レストランでは出されないからだという。イギリスのレストランではフランス料理が出され、そのせいでイギリス料理は「不味い」だけでなく「フランスの真似事」という汚名まで着せられているとオーウェルは憤っている。

ブレイの牧師のための弁明」や「一杯のおいしい紅茶」、「ヒキガエルにまつわるいくつかの考え」と同様、自然や文化を愛好するオーウェルの一面が出たエッセー。

【日本語訳】炭鉱の奥深く(Down the Mine)

炭鉱の奥深く(Down the Mine, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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チェスタートンには申し訳ないが、私たちの文明は石炭の上に築かれている。あまりに当たり前すぎてよく考えないとそれに気がつけないほどだ。私たちの生存を確かにする機械、機械を作りだす機械、それらはすべて直接的、間接的に石炭に依存している……続きを読む

DownTheMine

ジョージ・オーウェルの「Down the Mine」の日本語訳。

オーウェルの初期の作品のひとつがイギリス北部の炭鉱街を取材したルポルタージュ「The Road to Wigan Pier」だ。「ウィガン波止場への道」として邦訳されている(絶版になっていたが昨年、電子書籍として復刊された)。

この「炭鉱の奥深く」はその中の1章で、炭鉱夫たちの仕事の様子を取材したものになっている。中東やアフリカでの大油田の発見による石油エネルギーへの転換は1950年代のことで、オーウェルがこのエッセーを書いた当時はまだ石炭こそが産業を支えるエネルギーの中心だった。

アイスクリームを食べることから大西洋を渡ることまで、またパンを焼くことから小説を書くことまで、私たちがおこなうことはほとんどすべて直接的、間接的に石炭を使用している……(中略)……ヒトラーが膝を伸ばして行進するためにも、ローマ法王がボルシェビズムを非難するためにも、クリケットの観衆がローズ競技場に集まるためにも、詩人同士が内輪褒めするためにも、石炭が用意されなければならない。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

その石炭を掘り出す炭鉱夫は小柄だが、筋骨たくましく、オーウェルはその姿に嫉妬さえ覚えると書いている。

一方で労働は過酷だった。とりわけオーウェルの注意を引いたのは地下に降りた後で採掘地まで数マイルを這うようにして進まなければならないということで、これがどれほど大変なことかをオーウェルは自身の体験を交えてくり返し強調している。

炭坑に潜る前、私が漠然と想像していたのはケージを降りて数ヤードほど先の石炭鉱脈で働く炭坑夫だった。働く前には通路を這い進まなければならないこと、その通路がロンドン・ブリッジからオックスフォード・サーカスに至るほどの長さもあるとは考えもしなかった。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

「動物農場」、「一九八四年」で広く知られるジョージ・オーウェルだが、「動物農場」の出版まではむしろルポルタージュ作家(そして書評家)としての仕事が多い。前世紀よりは改善されてきているものの、依然として過酷だった労働者階級の生活の様子を直に取材したことが与えた影響は、後の小説の作風からもうかがうことができるように思う。

ParaView での透視投影、正射影の切り替え

ParaView バージョン5 では透視投影、正射影(平行投影)の切り替えはパイプライン・ブラウザ下部の「Properties」タブで行なう(「Properties」タブは通常はウィンドウ左下にある)。

バージョン4.2.0 以降でこのように変更されたらしい。

「Properties」タブの検索ボックスに「Camera Parallel Projection」と入力して、見つかったチェックボックスにチェックをいれると正射影に、外すと透視投影になる。

ParaView-togglePerspective

あるいは検索ボックス横の歯車アイコンをクリックして全ての項目を表示させてから、「Properties」タブの下部にスクロールしても「Camera Parallel Projection」チェックボックスは見つかる。

以下の様に透視投影(左)と正射影(右)が切り替わる。

paraview-perspective paraview-orthogonale

ParaView 5.0.1 64bit版で確認した。

参照: 遠近法と平行投影の切り替え(Ver 4.2.0以降)

【日本語訳】歓楽の地(Pleasure Spots)

歓楽の地(Pleasure Spots, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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数か月前に私は派手派手しいある雑誌の記事を切り抜いた。ある女性ジャーナリストによって書かれた未来のリゾートについての記事だ。彼女は最近、ホノルルで時を過ごしたらしい……続きを読む

PleasureSpots

ジョージ・オーウェルの「Pleasure Spots」の日本語訳。

このエッセーでオーウェルは現代的なレジャー施設を詩人コールリッジの詩「フビライ・ハーン」と対比させて批判的に分析している。オーウェルがここで対象としているのは屋内プールや飲食街、映画館を内部にもち、絶えず音楽が流れ続けるような人工的に作られた大規模レジャー施設だ。

オーウェルはその特徴を次のように分析している。

  1. 決して一人になることがない
  2. 自分自身で何かをする必要がない
  3. 野生の草木や自然物が視界に入ることがない
  4. 照明と温度が常に人為的に調整されている
  5. 常に音楽が流れ続ける

これらの特徴から連想させられるものは「子宮への回帰願望」だとオーウェルは書く。

現代のリゾート地が無意識に目指しているのは子宮への回帰なのではないかと感じずにはいられない。そこでは人は決して一人になることがなく、日光を浴びることもなく、温度は常に調整されている。仕事や食べ物の心配をする必要はなく、もし存在するとしたらだが思考はリズミカルな拍動に飲み込まれてしまう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

オーウェルは鳥や野兎をはじめとした野生動物、木々や草花、季節の移り変わりを好む、ダンスホールや映画館ではなく郊外でのトレッキングを好むような人物だった。そうしたせいもあってか人工的に閉じられた歓楽施設というアイデアをかなり辛辣に批判している。

歓楽の名でおこなわれることの大半は思考を破壊しようという試みに過ぎない。まず最初に問いかけてみよう。人間とは何か? 何を必要としているのか? どうすれば自身を最良の形で表現できるのか?……(中略)……安っぽい音楽の調べはその助けにならないことに気が付くだろう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

第2時大戦が終わり、工業生産力にも余裕ができてきた当時はこうした完全人工型のリゾートが多く企画され、それがオーウェルには軽薄で現実逃避的なものに見えたのだろう。

最初のディズニーランドがアメリカのカリフォルニア州に作られたのはこのエッセーが書かれた9年後、1955年のことだった。

【日本語訳】貧しい者の死に様(How the Poor Die)

貧しい者の死に様(How the Poor Die, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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一九二九年のことだ。私はパリの第十五区のとある病院で数週間を過ごした。そこの受付係は受付で私をお決まりの厳しい尋問にかけ、中に入れてもらえるまで二十分ほどにわたって私は質問に答え続けた。もしラテン系の国で問診票を埋めるはめになったことがあれば、質問がどのようなものだったかはわかるだろう……続きを読む

HowThePoorDie

ジョージ・オーウェルの「How the Poor Die」の日本語訳。

ビルマでの警察官の仕事を辞めてヨーロッパに戻ったオーウェルはしばらくの間、パリで極貧生活を送っている。このエッセーはその当時に体を壊して入院生活をした時の思い出話になっている。

オーウェルが入院したパリ15区の病院は当時でも悪名高い、19世紀の面影を残したものだったらしい。医学生の教材となることと引き換えに無料で入院することができたが、標本のように患者を扱う医者と医学生にオーウェルは驚く。

彼らの誰一人として一言の会話もしようとはせず、直に顔を見ようともしないのだ。決められた寝間着を着た治療費を払えない患者は基本的には標本なのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

こうした病院なのでオーウェルと同じように無料で入院している患者の多くは貧窮者だった。そこでは朝になると同室の患者が死んでいるということも普通だったらしい。

二人の別の看護師が木靴の大きな音を立てながらまるで兵士のように並んで歩いてくると、死体をシーツで包んだが死体はその後も運び出されるまでしばらくそのままにされた……(中略)……なんともおかしな話だが、彼は私が目にした初めての死んだヨーロッパ系の人間だったのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

現在(1946年)のイギリスではこんなことは起きないとオーウェルは語る。訓練を受けた看護師、麻酔や消毒剤、そして国民健康保険によって状況が変わったのだという。しかしパリで見た病院の雰囲気は多くの文学作品で描かれている19世紀の病院・医者のものと同じだとオーウェルは続ける。

過去五十年ほどの間に医者と患者の関係には大きな変化が起こってきた。十九世紀後半以前の文学作品を読めば、そのほとんどで病院が刑務所、それも古風な地下牢じみた刑務所と同じようなものとして扱われていることに気がつくだろう。病院は腐敗と苦痛と死の場所であり、墓地への控えの間のようなものだった。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

過去の文学作品を参照しながら前近代の持つ残酷さを描写し、近代的な科学知識や社会制度によって貧窮者の状態は次第に改善されていったのだと語るオーウェルの良識派らしい一面が表れているエッセー。