北と南(North and South, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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南部や東部に慣れた者が北部を旅したとしよう。バーミンガムを超えるまではそれといった違いは目に留まらない。コベントリにいるのもフィンズバリー・パークにいるのも大差ないし、バーミンガムのブル・リングはノリッジ・マーケットとよく似ている。そしてイギリス中部の市街全体には南部のそれと見分けのつかない文明的な……続きを読む
オーウェルの「ウィガン波止場への道」の1章、「North and South」の翻訳。
ここでの「北と南」はイングランドの北部と南部を指している。伝統的にイングランド北部(シェフィールドやマンチェスター)は炭鉱業や工業が、南部(ロンドンやブライトン)は農業や商業が盛んな地域だ。
「ウィガン波止場への道」は貧しい地域・労働者を取材したルポルタージュという性格の本で、この「北と南」でも描かれるのはまず北部の工業街の醜さである。
しかしそれと同時にオーウェルはイングランドには「北部では町は醜いが人間は勇敢で意志強健、南部では町は美しいが人間は軟弱で優柔不断」というステレオタイプが存在することを指摘する。
イングランドには奇妙な北部崇拝、北部的選民意識とでも言うべきものが存在する……(略)……北部の人間は「気概」があり、意志が強く、「頑固で」、勇敢で、人情があり、民主的である。南部の人間はお高くとまり、女々しく、怠惰である……ともあれこれが通説なのだ。(ジョージ・オーウェル, "北と南")
なぜこうした「北部崇拝」が生まれたかについてオーウェルはそれがイギリスのナショナリズムに由来するのではないかと推理している。
ナショナリズムが初めてひとつの宗教にまでなった時、イギリス人は地図を見て自分たちの島が北半球の非常に緯度の高いところにあることに気がつき、北に行くほど好ましい暮らしがおこなわれるようになるという都合のいい理論を考え出した。(ジョージ・オーウェル, "北と南")
オーウェルはこの理論の馬鹿馬鹿しさを指摘しながらも、しかし確かに(過去でも未来でもなく)今この瞬間の北部の労働者たちの家庭にはある種の魅力が存在すると締めくくっている。